参政党、憲法草案の衝撃、まるでカルト宗教教義。
2025年 05月 26日
 

欧米の近代憲法は日本国憲法も含め、自然権思想(注1〜3)(キリスト教徒が多いアメリカで天賦人権思想)を基盤にしたフィクションを共通のものとして出来上がったはずだが。それは「本来人間は個人としては誰にも制約されず完全に自由である権利を持っているが。自然の中では肉食動物や自然の脅威や外敵によってその自由を実現できない。その為に、社会集団を形成して、自己の自然権を実現することにして、そのため集団中の個人が互いに契約して政府を作った。よって政府の目的は、その集団の成員すなわち個人=国民の自然権を等しく平等に保全しなければならないし、もし互いの自然権がぶつかった時の、解決手段として法の下の平等原則によって国民相互の権利を法によって調停する。」 以上が近代憲法の思想。自然権思想と社会契約説と私なりの要約です。これは高校1、2年の倫理社会で習ったと思います。 そのことから帰結するのは、政府の目的は自然権の実現であり、国民相互の自然権がぶつかって互の自然権が制限されないように、社会制度やインフラを整備するのが役目と言えます。例えば横断歩道を立体交差に変えたり、害の無いタバコや、障害者のために道路整備したり、二酸化炭素を排出しないエネルギーを開発したり等々です。
注1、注2 自然権思想については、ページ下に説明

 しかし、参政党の憲法には、全く国民主権の文字も、政治の目的である自然権の実現もないのです。言論の自由さえありません。以下個別に解説していきます。
 注1(自然権思想の一般解説について1を参照確認してください。)

  参政党 憲法草案 2025年 05月 26日
1 前文
 日本は、稲穂が実る豊かな国土に、八百万の神と祖先を祀り、自然の摂理を尊重して命あるものの尊厳を認め、徳を積み、文武を養い、心を一つにして伝統文化を継承し、産業を発展させ、調和の取れた社会を築いてきた。天皇は、いにしえより国をしらすことし悠久であり、国民を慈しみ、その安寧を幸せを祈り、国民もまた天皇を敬慕し、国全体が家族のように助け合って暮らす。公権力のあるべき道を示し、国民を本とする政治の政治の姿を不文の憲法秩序とする。これが今も続く日本の國體である。
 国民の生活は社会の公益が確保されることによってなりたつものであり、心身の教育、食糧の自給、国内産業の育成、国土と環境の保全など、本憲法によって権利の基盤として公益を守り、強化する。また我が国は、幾多の困難を乗り越え、世界に先駆けて人種の平等を訴えた国家として、先人の意思を受け継ぎ、本憲法によって総合的な国の守りに力を尽くし国の自立につとめる。あわせて、各国の歴史や文化を尊重し共存共栄を実現し、恒久の平和に貢献する。
 日本国民は、千代に八千代に繁栄を達成し、世界に真の調和をもたらすことを宣言し、この憲法を制定する。


<国民の生活は社会の公益が確保されることによってなりたつものであり、心身の教育、食糧の自給、国内産業の育成、国土と環境の保全など、本憲法によって権利の基盤として公益を守り、強化する。>

前文の上記文章からはまず国民主権であると明記されず、政府の目的が公益の確保で、その確保の結果、国民の権利が守られることになっていますな、
論理的に対偶にすると、「国民の権利は守れない、公益が確保できなければ。」これ戦争中と同じになりますな。「公益が確保できるまで、国民は生活を我慢することも可能になります。」 

 それと全く反対に近代民主主義憲法や日本国憲法は、その前文にもあるように自然権の実現が政府設立の目的です。もし政府が国民の人権を確保できなければ国民には革命権もあることがアメリカ憲法には記載されています。しかしこれとは逆に参政党の憲法草案では、政府が公益を確保して初めて、国民の人権は可能になるから、国民は政府が公益を実現するまで、人権や自由は制限されても仕方がないとなって、責任は国民の方に転化されています。
  上記の参政党憲法前文と以下アメリカやフランスの憲法や日本国憲法の前文と比較してみてください。国民の自然権(自由や基本的人権)を実現する目的で政府が作られたから、国民は自然権を実現できない場合は政府を交代させる権利を持つ(革命権)まで認めています。
1、われら合衆国の国民は、より完全な連邦を形成し、正義を樹立し、国内の平穏を保障し、 共同の防衛に備え、一般の福祉を増進し、われらとわれらの子孫のために『自由の恵沢を確 保する目的』をもって、ここにアメリカ合衆国のためにこの憲法を制定し、確立する。 と規定されている。
 それによって、アメリカ合衆国憲法は、政治権力を縛り、権力の濫用から国民を守るための憲法という近代憲法の基本的性格をもつに至った。以下、1条から4条参照
憲法修正1条:国教樹立を禁止し、信教・言論出版の自由、集会・結社の自由、請願権の保障など。
憲法修正2条:人民が武器を保有し携帯する権利を保障。(連邦政府の権力濫用に対して州政府が武装して自己の権利を守ることを認める趣旨と解釈されるが、同時に個人の銃所有を認めたものと拡大解釈される余地がある。)
憲法修正3条:個人の住居に軍隊が無断で舎営することを禁止する。
憲法修正4条:不当逮捕、不当捜査などを禁止し、それらは令状によって行うこと

 アメリカ憲法の元になった独立宣言にも以下のような自然権を実現するのが、政府の目的であると記載されています。
独立宣言
1、万人は平等につくられ、また、生命、自由および幸福追求を含む不可譲の権利を、創造主から与えられている。
2、これらの権利を保全するためにこそ政府が設立されるのであり、政府の正当なる権力は統治される者の同意にその根拠を有する。
3、どんな形の政府にせよ、いやしくも政府がこの目的を破壊するようになれば、かくのごとき政府を変え、またはそれを廃止して、人民の安全と幸福とをもっともよく実現すると思われる原理に基礎を置く‥‥新政府を樹立することは、人民の権利である
フランスの人権宣言
1958年憲法前文に、「フランス人民は、1946年憲法の前文により確認され補足された1789年の 権利宣言によって定められたような人間の諸権利に及び国民主権の諸原理に対するその愛着を厳粛に宣 言する。」
フランスの人権宣言 年月日] 1789年8月26日
第1条 人は、自由かつ諸権利において平等なものとして生まれ、そして生存する。社会的区別は、公共の利益への考慮にもとづいてしか行うことはできない。
第2条 すべての政治的結合の目的は、人の自然かつ消滅しえない諸権利の保全にある。これらは、自由、所有権、安全および圧政に対する抵抗である。
第3条 あらゆる主権の原理は本質的に国民に存する。いかなる団体、いかなる個人も、国民から明示的に発するものではない権威を行使することはできない。
第4条 自由とは他者を害しないすべてをなしうるということである。したがって、すべての人の自然的諸権利の行使は、同じ諸権利の享有を社会の他の構成員にも確保するということ以外には、限界をもたない。この限界は法によってのみ決定されうる。
第5条 法は、社会に有害な行為のみを禁止する権利を持つ。法の禁止しないすべてのことは妨げられず、また、何人も法が命じないことをなすように強制されることはない。
日本国憲法前文 抜粋
日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通 じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との 協和による成果と、わが国全土にわたって自由のもたらす 恵沢を確保し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起る ことのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に 存することを宣言し、この憲法を確定する。 そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、 その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれ を行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類 普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基づくもの である。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔 勅を排除する。

ここにも上記の政府の目的が。「わが国全土にわたって自由のもたらす 恵沢を確保し、その福利は国民がこれを享受する。」と国民主権と政治の目的が国民の自然権を実現さすのことと明記されています。

2 国民
第5条 国民の要件は、父また母が日本人であり、日本語を母国語とし、日本大切にする心(11)を有することを基準として、法律で定める。
2 国民は、子孫のために日本を守る義務(12)を負う。

これだと日本の政治や社会を嫌いになる思想良心の自由はないかもね。

 (公共の利益)
第6条 国民はこの憲法に定める国民の権理(13)及び公共の利益(以下「公益」という。)を国政において常に維持し、擁護する義務(14)負う。
2 前項の公益は、次の2章及びこの憲法全体を通じて、国民生活の基盤確保及び国の守りを目的として規定さる。
3 公務員は、専ら公益の維持及び増進に従事する責務を負う。
4、個人や団体の利益は、健康や安全、環境や文化等将来の世代にわたって必要な公益のもとに得られることに留意し、その追求は公益に配慮して行うことを要する。(15)

(国民の基本的な自由と権利)
第8条 全て国民は主体的に生きる自由(16)を有する。
2 国民は、健康で文化的な尊厳ある生活を営む権利(17)を有する。
3 権利には義務が伴い、自由には責任が伴う。権利及ぶ自由は濫用してはならない。(18)
4 国内で活動する全ての者、法人及び団体は、法律基づき納税の義務を負う。

おそらく約束や契約や責任と言う概念は、古代で150人前後の人間集団が家族や親族関係の中で暮らす場合、今で言えばアマゾンの原住民や未開の種族の時代にはなかったが、種族が拡大し部族や古代国家なるとき、自己意識の時間、空間的拡大とともに、人間関係を安定的に維持するため創造されたのだと思う。最初の祖先神に始まり種族を超えた共通の神の創造とその神話の共有に始まり恐れ、祟り、罰などとセットで維持されて来たのだと思う。  その結果約束や契約や責任と言う概念とセットで責任や権利や義務の観念が創造され社会全体に共有されたのだと思います。

例えば、よく日本では「権利には義務が発生する。」と多くの人が深く考えず習慣のように、子ども達だけでなく大人まで道徳として教えているが、これはバラバラな個人が自分の自由権を保全するために相互契約して社会や国家を作った近代憲法の考え方で考察すると、誰かが権利を持てば、他の誰かに義務が発生すると言うことが正しい解釈で。自分が権利を持ては同時に自分に義務が発生するなんてことは、トンデモな間違いでしかない。そんなことなら誰も権利なんか欲しいと思わないでしょうな。こうした考え国民に普及すればせっかく近代憲法によって政府が国民の人権を守る義務があるのに、政府を批判する抗議活動のデモなんか起こらず、日本人が他人のそんな活動を見ると俺達はもっと苦しい生活を我慢してる、あいつらは我儘と非難したりすることが起こり、まことに為政者(御上)に都合の良い、近代憲法の着物を着た封建国家日本が、本体を表すこになります。しかも自粛なんて法権力でない権力が発生し、少し前までオートバイの馬力規制や750CC以上のバイクが業界の自主規制でしたが。外国バイクの参入とともに破られてしまい、高速道路二人乗り禁止もアメリカ様の一言で解除されてしまいました。これって飛鳥時代以前からの日本の伝統だと思います。
もう一つ「自由には責任が伴うなんて」トンデモな思考停止の」慣用句が日本にはあります。例えば僕が朝何時に起きようが、何を食べるかは全く隣のおっさんに関係ないし、関係なければ責任も発生しない。そもそも自由が近代憲法にあるのは、その根拠が自然権思想にあるからであり、その自由権というは、人が社会と全く関係なく自然の中で自由勝手に自己決定して生きることを想定してできた概念であり、
「封建社会において農奴は、領主の土地を耕作し、一定の労働を強いられ、生産物の一部を領主に納める義務がありました。また、移動の自由も制限されていました。」そうした王や領主から支配される関係からの離脱する意味で、自然の中で個人生きる自由さを自然権として構想された訳で。そうした自然権を、個人同士が互いに社会契約して国家を作り自然の中の自由を実現さすために生まれたルールが近代憲法なのです。だから自由に責任がついている訳ではなく、好き勝手な自由なのです。しかし、好き勝手な自由を拡大して行くと必ず他人の好き勝手の自由とぶつかります。その時は両方に平等に自由を制限するように調停するのが国家の中の司法という訳です。
だからフランス人権宣言4条に以下の規定がある訳です。

第4条 自由とは他者を害しないすべてをなしうるということである。したがって、すべての人の自然的諸権利の行使は、同じ諸権利の享有を社会の他の構成員にも確保するということ以外には、限界をもたない。この限界は法によってのみ決定されうる。
しかし、村社会特に稲作共同体のルールにならされた日本人には、勝手な自由をみんながしたら国は崩壊する、だからいつも他人配慮して迷惑かけないように生きるべきという道徳からなかなか抜け出せないのです。

このことについてYOU TUBEの参政党の憲法草案動画に投稿した、私の少し怒った投稿です。わりと要約できているので搭載します。
以下参照
「ハハ、終わってる。日本は未だ民主国家でないことが、参政党や保守的な若者の政治的発言を見ればよくわかる。日本は他人に迷惑かけるなんて道徳がある稲作共同体から生まれた個人の好き勝手の自由が悪いこととされる田吾作の国だよ。また自由に責任があるとか、権利には義務が伴うとか妄想する未開国だよ。もし権利に義務が伴うなら、フランス革命もなく、人権や自由を大切にする民主主義国家なんてできなかっただろうよ。それは単に村社会から若者が自立し自己判断するのを防ぐ道徳になっていたわけだ。何故かと言うのは日本には昔から自由のない村の皆んなに配慮する、出る杭は自ら抑える民主主義があったから、それは欧米の集団より個人の自由の優先と、契約と言う概念が社会と個人を繋ぐ民主主義思想を輸入した時に、自由には責任があるとか権利には義務があるとか、あくまで個人より村全体に配慮する、周りの空気に合わす契約という概念のないトンデモ民主主義になったしまったと言うことだ。これが今の日本が利権優先で新しい産業が発達しない、経済の停滞した日本を作ってきたとも言えるのだぜ。」

 日本国憲法の公共の福祉。
第12条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これ
を保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常
に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。 〔個人の尊重・幸福追求権・公共の福祉〕
第13条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民
の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊
重を必要とする


上記憲法の公共福祉について、日本は1979年に国際市民的及び政治的権利に関する国際規約(市民的及び政治的権利に関する国際規約)を批准して以来、日本の人権状況を説明する国別報告書を6回提出してきた。国連人権委員会は、いずれの報告書においても、日本国憲法に規定されている「公共の福祉」の概念に疑問を呈し、憲法における人権の一般的な制限を示唆している。日本政府と国連人権委員会の見解の相違している。

また憲法上の権利は「公共の福祉」によって制約を受けるが、自由権規約には「公共の福祉」という権利制限事由は存しない。自由権規約委員会は、締約国から定期的に提出される人権状況の報告書を審査しているが、日本の定期報告書の審査のたびごとに、「公共の福祉」によって規約上の人権を制限してはならないことを指摘している。例えば、規約一九条の表現の自由については、「他の者の権利又は信用の尊重」あるいは「国の安全、公の秩序又は公衆の健康若しくは道徳の保護」の目的のために必要な場合に限って一定の制限を課すことが認められているのであるが(同条三項)、最高裁は、教科書検定裁判における判決において、規約一九条に言及したものの、「表現の自由を保障した前記規約一九条の規定も、公共の福祉による合理的でやむを得ない限度の制限を否定する趣旨ではないことは、同条の文言から明らかである。」と判示した

 以下、上記最高裁の判断が以下19-3に該当するか考えてみてほしい。
国連自由規約 第十九条
1 すべての者は、干渉されることなく意見を持つ権利を有する。
2 すべての者は、表現の自由についての権利を有する。この権利には、口頭、手書き若しくは印刷、芸術の形態又は自ら選択する他の方法により、国境とのかかわりなく、あらゆる種類の情報及び考えを求め、受け及び伝える自由を含む。
3 2の権利の行使には、特別の義務及び責任を伴う。したがって、この権利の行使については、一定の制限を課すことができる。ただし、その制限は、法律によって定められ、かつ、次の目的のために必要とされるものに限る。
(a) 他の者の権利又は信用の尊重
(b) 国の安全、公の秩序又は公衆の健康若しくは道徳の保護
 

参政党や公益や憲法の公共の福祉は、結局多数国民への福祉のために個人の人権をの抑制できるかの問題にすぎない。特定個人の人権を犠牲にすることはできる限り避けなければならない。またその人権を妥当な方法で代替え補償することよってしか実行されない。またそれでも思想の自由は制限できない。言論の自由は、名誉毀損や誹謗中傷該当しない限り制限できない。あくまでこれは暫定的な処置であり。本来政治の目的は、各個人の自由の拡大が本文であるので、将来同じようなに個人の人権と公共の福祉が対立しないように、政府は社会制度やインフラを改革整備していかないといけない。

それは日本国憲法が自然権思想の論理に沿って創造されたものである以上。国家の目的は各個人の自然権の実現である以上、他の国民の自然権の実現との衝突以外に制限する理由がないからである。では多数の個人の自由のために少数の人権が制限されるかと言えば。本来社会契約説からすると、一人では強い者も弱い者も混在し、いつか強者も病気等で弱者にもなる、結果自然状態では個人の自然権が実現されないから社会や国家を形成し互い助け合う方が良いと合意の上で国家が成立したと考えるから、少数者の自然権を多数者の福祉や公益を理由に制限していいという結論にならない。もし制限されるとするなら抽象的な公共の福祉ではなく、特定の誰の自然権の実現であるか政府は明記しなければならず。単に公共の福祉を名目に人権の侵害はできず。その双方の人権を平等に調停するしかなく、しかも思想良心の自由は本来他者の自然権と衝突するものでない権利であり、また政府の不当な政治チェックする言論の自由の権利は、特別な非常事態例えば国や国民の安全以外に制限できるものではない。以上 国連自由権規約参照。

 

参政党憲法草案(教育)

第9条 国民は、自ら学び考える力を基本とする教育(19)受ける権利を有する。
2 国は、義務教育において、個性や能力に応じた多様な選択肢(20)を設けなければならない。
3 国語と古典素読、歴史と神話、修身、武道及び政治参加の教育は必修とする。
4 教育勅語など歴代の詔勅、愛国心、食と健康、地域の祭祀や偉人、伝統行事は、教育において尊重しなければならない。
5 学校給食は、健康に配慮し、地域の食材を用い、国内における調達に努める。

まあ、この教育についても戦前の教育と同じで、教育が国民の様々な幸福追求権を援助するためのサービスではなく。国が価値があると認める日本人に国民をしたてあげるための洗脳教育と言えるでしょう。まさに北朝鮮やカルト宗教団体の信者教育と同じです。
 

 全体的に参政党は日本人の庶民の感性を戦前の教育勅語や儒教の理想を体現した忠君愛国で自己犠牲や公共心に溢れた民族だと錯覚しているようですが、それは1割程度の武士階級だけで、それ以外の庶民は世間体を良く見せたいだけで自主性はなく、裏表のあるのが本性だと言えます(それは赤信号みんなで渡れば怖くない)の言葉でよくわかります。

以下はYOU TUBEの西田昌司の「ひめゆりの塔は歴史の改竄」に投稿した、私の少し怒った投稿です。わりと要約できているので搭載します
 「
要するに神谷や西田のネトウヨは日本の庶民文化が分かってないのだよ。西田は愛国ポルノ作家百田尚紀と同じネトウヨ思想だぜ。日本の文化なんて分かってないで。まあ庶民が当時の日本の軍国政治を憎むのも当然だぜ。だって戦前の日本の主権者は現人神なんだから、国民洗脳カルト宗教と同じだろうが。今日本が北朝鮮攻めて国民解放するようなもんだろうが。だから日本人もマッカーサー帰米の時に20万人が街頭に立って「マッカーサーさんありがとう」と見送ったんだぜ。今もネット上のNHKニュースで動画が見えるぜ。それから1945(昭和20)年10月3日、終戦からわずか1か月半後に発行された出版物『日米會話手帳』が大ベストセラーになってるぜ。そしてあれだけ賛美された特攻隊員は戦後は特攻崩れと馬鹿にされ、シベリア帰りは就職もできない。おまけにイスラムと違ってアメリカ軍基地に誰も特攻テロなんてしてない。日本人は何時も御上の前では愛国の帽子をかぶってるだけ、誰も自分がたとえ餓死しそうになっても自分が最初には帽子は脱がないだけ。だから他人のマッカーサーさんが御上を潰してくれたので。やっと愛国の帽子が脱げた訳だ。要するにネトウヨは日本の庶民の感性や文化なんか理解できないアホと言うだけ。まあ韓国の反日、自国オリジナル思想の馬鹿と同じレベルと言うことだ。」

こうした日本社会特有の国家のあり方を吉本隆明は接木国家と呼んでいる。農業を営みとする農民の古来からの自然(じねん)共同体の上に時代とともに支配者が天皇の国司や将軍の代官やマッカーサーのように入れ替わる支配組織があり、その支配は一定の年貢を徴収するだけで、住民を完全支配することなく自治を基本とする間接的支配という意味である。そうした国家では革命は起こることはなく、年貢の量を少なくする部分闘争しか起こらない。それは天皇や将軍や水戸黄門やマッカーサー様は住民の味方で、悪人は代官とされ、代官が変わることで終わる。だから現代学園ドラマでもだいたい教頭が悪人で校長は善人とされる。そしてそれは世間と御上と言った言葉で国家の二重性が表現されていることで分かる。

以下動画、マッカーサー帰米 NHKニュース 昭和26年4月24日

 https://www2.nhk.or.jp/archives/movies/?id=D0009183275_00000

 以下注(11)規範的要件だが、我が国に対する害意がないことでもって足りると解するべきである。
(12)国守り参加協力を努力義務と解するべきである。
(13)権利を権理と約したのは、rightの翻訳として『理に適った」という趣旨を含む用語として適切だから。
   正当とか正当なと訳すべきだろう。理となるとその理とは何かということになる。
(14)国が国民の権理とともに、公益の最低限度を確保すべきことを定める条文である
(15)私益より公益が優先することは、権利や自由が公共の福祉のもと認められることと同じ趣旨である。本憲法   において、公共の利益(公益)をより具体化して定めている。
(16)包括的な自由権との解釈である。
(17)尊厳をもって生存する社会権も含めた包括的な基本的権利を言う。
(18)日本国憲法では権利や自由は、原則として公共の福祉(公益)による制約があるとされ、本憲法においても、権利や自由は、本憲法に定める公益に適合する範囲に限られ濫用を禁止する趣旨である。
(19)将来の政治参加に向けて、国民が情報を適切に判断し、問題を解決する主体性をもった教育を言う。
(20)フリースクールなど義務教育課程における様々な選択肢を設ける趣旨である。

注1 デジタル大辞泉 「自然権」の意味
人が生まれながらにして持っているとされる権利。自己保存の権利、自由の権利、平等の権利など、国家権力をもってしても奪うことのできないもの。ロックを中心とする近世の自然法思想の所産で、フランスの人権宣言、日本の明治期の天賦与人権思想などに表れている。天賦人権。
注2 ロックの自然権思想
「自然状態は、不安な状態だ。権利自由が守られている状態ではない。
そこで、人々は、自らの権利を守るために、お互いに契約を結んで政府をつくりあげた。
政府に権力を与えて、犯罪を犯した人を捕まえて処罰したりする力を与えた。
そうすることで、権力によって、安全や秩序が守られ、個人の自由が守られる。
政府は、人民の権利を守るために存在し、人民との契約、信託によって存在するものだ。
人間が、国家を結成し、みずからその統治に服す最大の目的は、人々の生命・身体・財産を守るためにあるのだ。」

注3「自然権とは」のAI回答
自然権とは、人間が生まれながらに持っているとされる権利であり、国家や社会制度に先行して存在し、国家によっても侵害されない権利のことです。
自然権は、国法や社会制度に優先され、人間が人間であることによって当然に有すると考えられています。この権利は、生命、自由、財産、健康など、人が生きる上で不可欠なものとされています。
自然権の概念は、17世紀の社会契約論の議論から生まれました。トマス・ホッブズは、自然状態において全ての人間は自由で平等な自己保存の権利を持つと唱え、自然権の普遍性を主張しました。ジョン・ロックは、自己保存の権利に加え、所有権も自然権に含め、自然権に基づく同意によって成立する民主的国家と、国家による自然権侵害に対する人民の抵抗権を正当化しました。
自然権の思想は、アメリカ独立宣言やフランス人権宣言に影響を与え、基本的人権の思想的原理を理論化しました。日本国憲法においても、基本的人権は侵すことのできない永久の権利として保障されています。
 

参考 国連による、公共の福祉についての訂正勧告
日本は1979年に国際市民的及び政治的権利に関する国際規約(市民的及び政治的権利に関する国際規約)を批准して以来、日本の人権状況を説明する国別報告書を6回提出してきた。国連人権委員会は、いずれの報告書においても、日本国憲法に規定されている「公共の福
祉」の概念に疑問を呈し、憲法における人権の一般的な制限を示唆している。

1998年11月19日 規約第40条に基づき日本から提出された報告の検討、自由権規約委員会の総括所見
8、委員会は、「公共の福祉」に基づき規約上の権利に付し得る制限に対する懸念を再度表明する。この概念は、曖昧、無制限で、規約上可能な範囲を超えた制限を可能とし得る。前回の見解に引き続いて、委員会は、再度、締約国に対し、国内法を規約に合致させるよう強く勧告する。 

2014年、委員会は日本に対して非常に明確な勧告を行った。:「22. 当委員会は、『公共の福祉』の概念が曖昧かつ無限定であり、規約(第2条、第18条及び第19条)で許容される範囲を超える制限を許す可能性があることに対する懸念を、もう一度繰り返し表明する。当委員会は、前回の総括所見(CCPR/C/JPN/CO/5、第10項参照)を踏まえ、締約国に対し、第18条第3項および第19条に定められた厳格な要件を満たさない限り、思想、良心および宗教の自由または表現の自由に対していかなる制限も課さないよう強く求める。」

国際自由権規約第18条第3項によれば、すべての制限は「公共の安全、公の秩序、公衆の健康若しくは道徳又は他の者の基本的な権利及び自由を保護するために必要」でなければならない。

1. 公共の福祉
この制限事由は限定列挙であり、他の事由は許されない。「公共の福祉」はこの事由として列挙されていない。
委員会は、規約第18条第3項に基づく宗教または信念の自由に対する可能な制限に関する一般的意見第22号で、以下のように述べている:「 課される制限は法律によって規定されなければならず、また、第18条で保障された権利を侵害する形で適用されてはならない。委員会は、第18条第3項は厳密に解釈されるべきであると考える。同条項に明記されていない事由による制限は許されず、それがたとえ規約で保護された他の権利(例えば、国家安全保障)に対する制限として許される場合であっても、許されない(第8条)」
「公共の福祉」の保護に関しては、自由権規約人権委員会は、この概念があまりにも曖昧であり、第18条第3項に列挙された制限事由のいずれにも該当しないと認定している。
 

2022年11月3日、国際人権(自由権)規約委員会(以下「委員会」という。)は、市民的及び政治的権利に関する国際規約(以下「自由権規約」という。)の実施状況に関する第7回日本政府報告書に対して、同年10月13日、14日に行われた審査を踏まえ、総括所見を発表した。 

国連 国際自由権規約  一部抜粋  国際自由権規約 参考。ネットに全文あるので検索してみてください。
第二条
1 この規約の各締約国は、その領域内にあり、かつ、その管轄の下にあるすべての個人に対し、人種、皮膚の色、性、言語、宗教、政治的意見その他の意見、国民的若しくは社会的出身、財産、出生又は他の地位等によるいかなる差別もなしにこの規約において認められる権利を尊重し及び確保することを約束する。
2 この規約の各締約国は、立法措置その他の措置がまだとられていない場合には、この規約において認められる権利を実現するために必要な立法措置その他の措置をとるため、自国の憲法上の手続及びこの規約の規定に従って必要な行動をとることを約束する。
3 この規約の各締約国は、次のことを約束する。
 (a) この規約において認められる権利又は自由を侵害された者が、公的資格で行動する者によりその侵害が行われた場合にも、効果的な救済措置を受けることを確保すること。
 (b) 救済措置を求める者の権利が権限のある司法上、行政上若しくは立法上の機関又は国の法制で定める他の権限のある機関によって決定されることを確保すること及び司法上の救済措置の可能性を発展させること。
 (c) 救済措置が与えられる場合に権限のある機関によって執行されることを確保すること。
第三条
 この規約の締約国は、この規約に定めるすべての市民的及び政治的権利の享有について男女に同等の権利を確保することを約束する。
第四条
1 国民の生存を脅かす公の緊急事態の場合においてその緊急事態の存在が公式に宣言されているときは、この規約の締約国は、事態の緊急性が真に必要とする限度において、この規約に基づく義務に違反する措置をとることができる。ただし、その措置は、当該締約国が国際法に基づき負う他の義務に抵触してはならず、また、人種、皮膚の色、性、言語、宗教又は社会的出身のみを理由とする差別を含んではならない。
2 一の規定は、第六条、第七条、第八条1及び2、第十一条、第十五条、第十六条並びに第十八条の規定に違反することを許すものではない。
3 義務に違反する措置をとる権利を行使するこの規約の締約国は、違反した規定及び違反するに至った理由を国際連合事務総長を通じてこの規約の他の締約国に直ちに通知する。更に、違反が終了する日に、同事務総長を通じてその旨通知する。
第五条
1 この規約のいかなる規定も、国、集団又は個人が、この規約において認められる権利及び自由を破壊し若しくはこの規約に定める制限の範囲を超えて制限することを目的とする活動に従事し又はそのようなことを目的とする行為を行う権利を有することを意味するものと解することはできない。
2 この規約のいずれかの締約国において法律、条約、規則又は慣習によって認められ又は存する基本的人権については、この規約がそれらの権利を認めていないこと又はその認める範囲がより狭いことを理由として、それらの権利を制限し又は侵してはならない。

第十八条
1 すべての者は、思想、良心及び宗教の自由についての権利を有する。この権利には、自ら選択する宗教又は信念を受け入れ又は有する自由並びに、単独で又は他の者と共同して及び公に又は私的に、礼拝、儀式、行事及び教導によってその宗教又は信念を表明する自由を含む。
2 何人も、自ら選択する宗教又は信念を受け入れ又は有する自由を侵害するおそれのある強制を受けない。
3 宗教又は信念を表明する自由については、法律で定める制限であって公共の安全、公の秩序、公衆の健康若しくは道徳又は他の者の基本的な権利及び自由を保護するために必要なもののみを課することができる。
4 この規約の締約国は父母及び場合により法定保護者が、自己の信念に従って児童の宗教的及び道徳的教育を確保する自由を有することを尊重することを約束する。
第十九条
1 すべての者は、干渉されることなく意見を持つ権利を有する。
2 すべての者は、表現の自由についての権利を有する。この権利には、口頭、手書き若しくは印刷、芸術の形態又は自ら選択する他の方法により、国境とのかかわりなく、あらゆる種類の情報及び考えを求め、受け及び伝える自由を含む。
3 2の権利の行使には、特別の義務及び責任を伴う。したがって、この権利の行使については、一定の制限を課すことができる。ただし、その制限は、法律によって定められ、かつ、次の目的のために必要とされるものに限る。
(a) 他の者の権利又は信用の尊重
(b) 国の安全、公の秩序又は公衆の健康若しくは道徳の保護
第二十条
1 戦争のためのいかなる宣伝も、法律で禁止する。
2 差別、敵意又は暴力の扇動となる国民的、人種的又は宗教的憎悪の唱道は、法律で禁止する。
第二十一条
 平和的な集会の権利は、認められる。この権利の行使については、法律で定める制限であって国の安全若しくは公共の安全、公の秩序、公衆の健康若しくは道徳の保護又は他の者の権利及び自由の保護のため民主的社会において必要なもの以外のいかなる制限も課することができない。
第二十二条
1 すべての者は、結社の自由についての権利を有する。この権利には、自己の利益の保護のために労働組合を結成し及びこれに加入する権利を含む。
2 1の権利の行使については、法律で定める制限であって国の安全若しくは公共の安全、公の秩序、公衆の健康若しくは道徳の保護又は他の者の権利及び自由の保護のため民主的社会において必要なもの以外のいかなる制限も課することができない。この条の規定は、1の権利の行使につき、軍隊及び警察の構成員に対して合法的な制限を課することを妨げるものではない。
3 この条のいかなる規定も、結社の自由及び団結権の保護に関する千九百四十八年の国際労働機関の条約の締約国が、同条約に規定する保障を阻害するような立法措置を講ずること又は同条約に規定する保障を阻害するような方法により法律を適用することを許すものではない。





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